コンシュマーズ京都について

【30年のあゆみ】70年代

二、 70年代の活動
1. 「石油パニック」のなかで
  1973年3月11日開催の「物価メーデー」では、京都春闘共闘、社保共闘、高齢者退職者協議会とともに京都消団連も主催団体になるなど、京都における暮らしを守る運動のなかで京都消団連はなくてはならないものになった。
  とくに、1973年10月以降の「石油危機」を契機とした「物不足」、異常な物価つりあげのなかで京都消団連のはたした役割はきわめて大きなものであった。
  この時期に物価は異常な急騰をみせ、73年度の物価上昇率は、卸売物価で22.6%、消費者物価で16.1%に達することになった。同時に、トイレットペーパー、洗剤、砂糖、灯油などの「物不足」パニック、さらに「総需要抑制」政策のもとでの深刻な不況が国民のくらしを直撃することになった。
  こうした事態が、「千載一遇のチャンス」とばかりにヤミカルテルをつよめ、価格の便乗つりあげを行った大企業によってひきおこされたものであったことも、消費者運動のたかまりのなかで明らかにされていった。当時、消費者運動は「つりあげた価格をもとにもどせ」「大企業の経理と製品原価を公表せよ」といったスローガンをかかげた。京都消団連では、連日、メーカーや商社にたいして抗議・要請行動を行ない、物資の放出、便乗値上げの撤回など、数多くの成果をおさめた。
  このような運動のひろがりのなかで、「原価公開」論や企業分析活動など、運動の質もおおいにたかまっていった。さらに、独占禁止法の改正をもとめる運動もひろがり、関西では「独禁法の改正強化を要求する関西消費者団体連絡会」が193団体の参加のもとに結成されることになった。

2. 公共料金値上げ反対運動
  電気、ガス、私鉄をはじめとする公共料金問題は、京都消団連がとりあげつづけてきた問題である。京都消団連結成総会での決議をうけてただちに関西電力、大阪ガスに公開質問状をおくるとともに、京都大学の野村秀和助教授の協力をえながら「最近の公益事業(電力・ガス・私鉄)」というパンフを作成するなど、関西電力、大阪ガスの値上げ問題について活発なとりくみがすすめられた。
  これ以後、何度かにわたる料金の値上げにあたっては、関西電力、大阪ガスとの交渉、通産省主催の公聴会、関西消費者団体連絡懇談会主催の「民間公聴会」などの場を通じて、消費者の要求や怒りを示してきた。
  私鉄運賃についても同様に、運賃値上げの不当性を訴え、安全対策やサービス改善をもとめる運動がくりかえされてきた。
  こうしたとりくみのなかで、関西レベルで弁護士や公認会計士の参加もえてひらかれた「合同研究会」は消費者運動の理論水準をひきあげるうえできわめて重要な場となった。
  国鉄運賃、消費者米価、水道料金などの値上げにあたっても、広範な団体とともに運動をすすめた。

3. 一般消費税に反対する運動
  歴代自民党政府の財政政策の結果、国債発行残高が巨額なものにふくれあがるなかで、くりかえし大増税の問題に直面することになったが、最も容易に巨大な財源を確保しうる税制であることから、一般消費税導入の動きがたびたびくりかえされた。これにたいする反対運動もその都度、力強く展開されてきた。
  1976年3月22日には、税制調査会が付加価値税の導入をはかろうとするなかで、「付加価値税新設阻止、重税反対、不況打開、生活防衛京都一万人集会」が府立体育館で開催された。
  大平内閣が一般消費税導入をはかろうとするなかでは、1979年12月7日、広範な団体が結集し、「一般消費税に反対する京都府民連絡会」が結成された。京都消団連もその幹事団体のひとつになった。一般消費税は、国民の反対運動のなかで導入されず、国会では「増税による財政 再建はしない」との決議がされることになった。
  この段階でとりあえず役割を終えた「一般消費税に反対する京都府民連絡会」は活動休止状態になるが、80年代の売上税、消費税導入のなかで大きな役割をはたすことになる。

4. 生産者と消費者の交流
 京都消団連の結成を前後して、消費者米価の物価統制令適用除外の問題やあいつぐ消費者米価の引き上げに反対する運動がすすめられた。これらの運動のなかで、京都消団連は日本の食糧と農業を守る立場から、とくに生産者との交流を深めることを重視した。
  1974年2月5日には「食糧問題を考える討論集会」がひらかれ「生産者と消費者、小売業者、行政が一体となって食糧の自給率を高めよう」と決議している。このような集会が、その後もくりかえし開催されるとともに、国にたいする要請、近畿農政局との交渉などがくりかえされている。また、米穀流通の適正化、米の消費拡大についての要請も行っている。
  生産地を訪問し、生産者との交流を深めることも重視してきたことであり、1975年4月にはチューリップのさく網野で一泊し、生産者との交流を行っている。
  1978年12月には京都市生活改善グループ連絡研究会との協力で「生産者と消費者のつどい」を開催したが、この「つどい」はそれ以来継続された。
  漁業との関わりでも1977年2月21日に200海里問題がクローズアップされるなかで「魚を考えるパネルデイスカッション」がもたれ、その5月には宮津、舞鶴などの現地での研修交流が行われている。

5. 有害添加物の追及めざして
 人工甘味料チクロ問題以来、タール系色素、AF2、石油たんぱく、サッカリン、学校給食用リジン、OPPなど、有害添加物を追放し、食の安全をもとめる運動も、京都消団連がとりあげつづけた課題である。この運動は、有吉佐和子の『複合汚染』の出版などをうけて農薬問題などにまで社会的関心がひろがるなかで、より安全な農産物をもとめる消費者の声と運動へと発展していった。森永ヒ素ミルク事件につづき大きな社会問題になったカネミ事件や薬害スモンの被害者との連帯も課題になった。
  さらに、さまざまな公害問題に消費者としての関心がたかまるなかで、公害追放の運動も課題となった。なかでも、飲み水の安全をまもるためにも「いのちの水がめ」といわれた琵琶湖をまもる運動がよびかけられ、合成洗剤追放、安全な洗剤開発、粉せっけんの普及運動が展開された。

6. 市民の足をまもる
 京都市域の都市交通体系は、都市開発の進展、モータリゼイションの進行、人口分布のドーナツ化の流れのなかで、市電時代、市電・市バス時代、市バス時代、市バス・地下鉄時代とうつりかわってきたが、総じて公共交通網の整備が不充分なままにおかれてきた。
  このなかで住民の側では、市民の足を守る立場から、「市電をまもる会」が運動の中心になった市電撤去反対運動や、地下鉄開通にあたっての市バス系統再編に市民の声を反映させる運動などがとりくまれてきた。京都消団連も、これらの運動に参加し、役割をになってきた。
  市電撤去反対運動のセンターになった「市電をまもる会」が解散したあと、地下鉄開通にともなう系統再編のなかでは、京都消団連も幹事団体になり「市民の足を守る会」が組織され、市民の声の集約などの運動がすすめられた。
  京都の交通体系はいまも変化しつづけているが、市民の立場、とりわけ交通問題で弱い立場にあるものの声をになった運動はますます重要になっている。これまでのとりくみを継承発展させることが必要になっている。

7. 消費者行政の確立にむかって
  ケネデイの「消費者の4つの権利」の提唱、さらに消費者問題が注目されるなかで、わが国でも1968年5月、消費者保護基本法が制定された。これをうけて、地方自治体レベルでも消費者行政の整備が課題となりはじめていたが、とくに「石油ショック」を前後して消費者行政の必要性がたかまり、各地で消費者保護条例の制定や消費者センターの整備がすすんでいくことになる。
  京都においては、京都消費者大会のとりくみのなかで、「消費者センターの設置をすすめる会」が発足し、その活動のもとで、府は婦人センターに消費者教室を、京都市は衛生研究所に消費者コーナーを設置することになった。さらに、京都市が1975年に「京都市消費者保護条例」を、京都府が1979年に「消費生活の安定および向上に関する条例」を制定するのをうけて、京都市は1976年12月、京都市消費者センターを設置、京都府も消費生活科学センターを1981年1月に設置することになった。
  京都消団連は、こうした動きのなかで、消費者の権利の確立をはかる立場からの条例制定・運用をもとめるとともに、消費者センターの充実、各種審議会での消費者代表の位置付けの明確化など、消費者の権利の確立をもとめる運動をつづけてきた。