コンシュマーズ京都について

【30年のあゆみ】80年代

三、 80年代の活動
1. 市場開放と消費者
  80年代になってから牛肉・オレンジ問題など、農産物市場開放が急速にすすんだ。
  1983年の食品添加物規制緩和の問題では、学習・討議が大きくひろがった。このようななかで、府議会でも「食品添加物の大幅緩和を撤回し、消費者本位の食品衛生行政をもとめる意見書」が採択された。また、国会あての請願署名も15万人をこえるものとなった。大規模な講演会やシンポジウムも開催された。
  残留農薬の問題も継続的に話題になった。1983年2月、大阪で「農薬全国集会」が開催されるなど、全国的な集会もひらかれた。また、市場開放との関係でとりあげられたアスパルテームの問題も消費者の関心をあつめた。
  このような活動がひろがるうえで、1983年4月に埼玉県嵐山町でひらかれたIOCU日本国際セミナー、ひきつづきもたれた「健康と安全のための京都国際交流会」がはたした役割も大きかった。 レイチェル・カーソン生誕80年記念事業の成果のうえに、1988年5月、レイチェル・カーソン日本協会が設立されたが、京都消団連としても必要な協力を行った。
  輸入食品の安全性に関する問題についてはミナト見学などのとりくみがひろがった。
  米の輸入自由化問題が焦点になるなかでは、農協のよびかけた全国署名にとりくむとともに、1989年2月4日に結成された「日本の食糧と食生活を守る京都府民連絡会」にも参加した。

2. 円高差益還元をもとめて
  1ドル360円で固定されてきた為替レートが自由化されてから、次第に円高がすすんだが、とくに1985年9月22日の5ケ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)を機に急速に円高がすすんだ。当時1ドル242円の相場が1ドル140円前後にまですすんだのである。
  円高差益を還元せよという運動は、78年当時にもとりくまれたが、本格的なとりくみは86年以後のとりくみである。
  消費者運動がとりあげた円高差益還元の対象は電気・ガス料金、灯油をはじめとする石油関連製品が中心であった。運動の結果、電気・ガス料金は何次かにわたり値下げされ、灯油価格も大幅に引き下げられた。
  しかし、食料品や日用品などについては、「どこへいった円高差益」という状況のままであった。輸入品の多くが原材料品であったが、次第に製品輸入がふえてきているなかで、円高差益が末端消費者に還元されるように流通段階のチェックが必要だと指摘された。
  このような円高差益還元運動のなかで、「円高Gメン」の登録、市場価格調査の試みがあったが、この活動は、90年秋の中東問題にともなう石油価格高騰のなかでの消費者の手による価格監視活動として継承された。

3. 消費者被害をふせぐ
  豊田商事事件に象徴される各種の訪問販売による消費者被害の防止や救済のために、訪問販売法の改正、消費者保護条例の運用強化がもとめられた。京都消団連は、全国訪問販売法改正推進協議会や悪徳商法をなくす京都連絡会などに参加し、弁護士や消費生活コンサルタントなど専門家と協力して運動をすすめた。また、京都消団連としても独自に京都市議会に「訪問販売の規制に関する請願」を提出した。この請願は、1986年12月、全会一致で採択され、国にむけて訪問販売法改正をもとめる意見書が提出された。このような運動の結果、1988年5月、訪問販売法の改正が実現した。
  訪問販売法改正をうけて、京都府、市においても、不当取引の規制に対応するための条例整備が課題となりはじめた。

4. 消費税反対の運動
  1986年7月の衆参同時選挙で300を上回る議席を確保した中曽根内閣は、選挙中かかげていた「大型間接税は実施しない」との公約をやぶり、まぎれもない大型間接税である売上税を導入しようとした。京都消団連はただちに反対決議を行ない、学習・宣伝活動を展開した。また、「大型間接税に反対する京都府民連絡会」の活動再開をよびかけ、各層各分野の広範な諸団体とともに、府民的規模での反対運動をすすめた。さらに、全国、関西の消費者・市民団体とも協同した反対運動をすすめた。
  このようななかで売上税は廃案になったが、竹下内閣のもとで消費税と名前を変えた大型間接税が導入されることになった。「よわいものいじめの消費税」に反対する運動は、売上税反対運動を上回る規模で大きく広がった。京都消団連は消費者・市民の声を結集し反対運動の先頭に立った。あいつぎ集会やアピール行進、国会請願行動などがとりくまれた。
  運動は消費税が導入されてからも継続し、ねばり強く展開された。1989年4月の消費税導入時には「消費税110番」にとりくみ、消費税が導入される時点での問題点を告発した。さらに、消費税廃止をめざす運動を「京都府民連絡会」に結集し展開した。1989年秋にとりくまれた「消費税廃止をもとめる京都府民投票」は33万余の府民の声と怒りをあつめることができた。

5. 原発と地球環境問題
  1986年4月26日におきたチェルノブイリ原発事故は、原発の「安全神話」を崩壊させ、原発が技術的にはなお未熟なものであり、おもいもよらぬことから大事故をひきおこす心配があるものだということを示した。京都消団連では、チェルノブイリ原発事故から二年目にあたる1988年4月26日、「原子力発電を考えるつどい」を開催し、この席上で「原子力発電についての私たちの考え方」を発表した。また、その5月21日には美浜原子力発電所の見学会を企画した。1988年には「くらしを通して原発・エネルギー・環境を考えるキャンペーン期間」として各地の消費者団体とともにとりくんだ。
  フロンガスによるオゾン層破壊、地球の温暖化、酸性雨、熱帯雨林、野生生物問題、海洋・湖沼の汚染など、地球的規模での環境問題がさけばれるようになってから、京都消団連のなかでも、環境問題がひとつの軸になってきた。1989年5月の京都市消費者まつりでの出展テーマは「環境汚染とわたしたち」を選んだ。また、その6月には学習会「かけがえのない地球をまもるために」の開催、さらに9月の「地球環境と大気汚染を考える国際市民シンポジウム」への参加などのとりくみをすすめてきた。
  1985年11月、関西に移り住んだ水俣病患者の救済をもとめる水俣病京都訴訟が提訴されたが、京都消団連も支援活動に参加した。

6. 消費者主権の時代をめざす
  1989年9月に来日したアメリカの消費者運動家ラルフ・ネーダーは日本各地で多くのことを語っていった。京都でも第20回京都消費者大会記念講演会で「いま消費者の時代がはじまる」と題した講演で、情報公開法の制定をはじめ、消費者が主権をもつ経済社会を実現するためのいくつかの提案を行った。
  しかしながら、「日米構造協議」のなかで「消費者の利益」ということがさかんに強調されたものの、実際には消費者主権とほどとおい現実がつづいた。
  このようななかで、社会的不公正をただし、消費者の権利を具体的に実現するために、独占禁止法の改正、情報公開法や製造物責任制度の実現などが課題として強調されるにいたった。とりわけ、欠陥商品による消費者被害に「泣き寝入り」しなくてもすむように、製造物責任制度を実現するための世論を喚起することが急務とされた。
  15年におよぶ灯油裁判の最終的な判決となった1989年12月の最高裁判決は、消費者側にヤミカルテルと被害の因果関係について立証する責任を過大にもとめるなど、不当なものであったが、この結果からも、裁判所をひらかれたものにするための運動が必要だと強調された。また、こんごの課題として、消費者庁の設置の提言もされた。