四、 90年代の活動
1. 消費税アップ反対運動 1990年6月、大型間接税に反対する京都府民連絡会の提唱により「消費税告発月間」がとりくまれ、9月13日には「月間」のとりくみをうけて「消費税告発シンポジウム」が開催された。 1991年秋、京都市では消費税を市バス・地下鉄等の公共料金に転嫁するための関連条例改正案が提案されたが、京都消団連はこれに反対し要望書を提出した。 1994年5月から6月にかけて消費税率引き上げが問題になるなかで、消費税に反対する団体が「名前をかえても、形をかえても消費税引き上げには反対する」との立場から共同で「消費税率アップをゆるすな!京都府民大運動」を展開した。京都消団連は、この運動の事務局団体として役割をはたした。運動は、府下自治体へのキャラバン活動やKBSラジオでのスポット活動など多彩なものであった。 しかしながら、1994年秋、多くの反対の声があったにもかかわらず、1997年4月からの消費税率引き上げが決定された。 1977年4月から消費税率が5%に引き上げられたが、京都消団連では、多くの団体と連絡をとりながら、「京都府民投票」の実施、「京都府民税制調査会」の開催など、運動を継続した。
2. ガットからWTOへ 日本の食糧自給率が低下しつづけるなかで、消費者の立場から日本の農業問題を考えるともに、輸入食品の安全性を問う運動がすすめられた。京都消団連としても、1990年6月、「輸入食品の安全確保に関する要望書」を政府に提出するなど、日本の食糧と食生活を守る立場から学習、調査などの活動をすすめた。 1993年は異常気象がつづいた影響で、コメの作況指数が全国で74という結果になった。その結果、コメ不足、緊急輸入がさけられなくなるなかで、1994年2月から3月にかけて「平成コメ騒動」という事態が生じた。京都消団連は「コメ110番」にとりくむとともに、コメの安定供給、輸入米の安全確認を要望した。「安全でおいしいコメの安定供給をもとめる署名」にもとりくみ、11月に村山総理あてに提出された。 多くの問題をのこしながら、ガット体制からWTO体制にすすむなかで、コメについても輸入自由化が行われた。また、新食糧法が施行され、国内のコメ流通事情も大きくかわることになった。 1995年、天然添加物の指定制度や農薬残留基準の整備など、食品衛生法が13年ぶりに改正されたが、1996年から1997年にかけて、O-157、遺伝子組換え食品問題など、これまで経験したことのない「食の安全」をめぐる問題があいつぐなかで、あらためて食品衛生法の抜本的な改正とあわせて、地方自治体の「食の安全」対策の総合的な強化の課題が焦点になった。 日本の食糧自給率は歯止めがかからずますます低下している。世界的な規模での食糧事情をふまえて、あらためて食糧自給率向上の課題の重要性が強調された。
3. 地球環境問題のとりくみ 1990年4月22日はアースデー(地球の日)であった。この日、世界で地球環境をまもろうとの思いをもった人びとが立ち上がった。京都では「アースデー1990京都ネットワーク」が結成され、共同アピール「京都から世界のなかまたちへ」がだされた。 「アースデー京都ネットワーク」はその後も継続され、環境問題でのあらたな共同の輪をひろげるうえで役割をはたした。 1992年6月、「環境と開発に関する国連会議」がひらかれた。また、これに前後して、さまざまな国際会議も開催された。このようななかで、地球的規模で環境保全のとりくみをすすめるためにも、水俣病問題をはじめ日本の公害の経験を正しく伝えることが日本のNGOの責任であることも確認された。 1977年12月、地球温暖化防止京都会議(COP3)が開催された。地球温暖化問題解決にむかって、世界各国から政府首脳、研究者、NGO、マスコミ関係者が京都にあつまり、二酸化炭素等の削減目標を具体的に掲げて共同歩調でとりくみをすすめることが強調されるなかで、「京都議定書」が採択された。京都消団連は、気候フォーラム、気候フォーラム京都ネットの活動に参加し、多くの環境NGOや市民団体とともに、COP3成功にむけて努力した。 COP3後は、この「京都議定書」の批准発効にむけてとりくみをすすめるとともに、削減目標達成をめざす国内対策の具体化をもとめてきた。また、気候フォーラムは気候ネットワークに、気候フォーラム京都ネットは地球温暖化防止京都ネットワークにそれぞれ発展的に改組されたが、京都消団連はそれぞれに参加継続した。
4. リサイクル社会をめざして 環境問題のとりくみのなかで、わたしたち一人ひとりが何をしなければならないか、何ができるか、という問いかけが行われ、多くの消費者・市民がリサイクル活動に参加しはじめた。いまの「使い捨て社会」に反省し、リサイクルを前提にした経済社会システムをめざしていこうというのである。 1990年1月、「環境保全・資源のリサイクルを考える消費者のつどい」が開催されたのを機に、京都消団連としてもゴミ問題に目をむけ、5月には清掃工場見学、そして5月24日には「ゴミ問題についての考え方」をまとめ、京都市消費者まつりでは「すてればゴミ いかせば資源」をテーマに啓発活動を行った。7月には「京都のごみ問題を考える市民のつどい」が開催された。 その後、多くの消費者・市民団体との学習・交流を深めるなかで、1991年10月27日には第22回京都消費者大会が「ゴミ半減化宣言」を行った。 リサイクル社会をめざすうえで、国段階のリサイクル関連法の整備とあわせて、地方自治体段階での「リサイクル条例」の制定や、それにもとづくリサイクル促進計画がもとめられた。京都消団連では、京都府や京都市のゴミ減量化にむけての検討にあたり、意見反映につとめてきた。 90年代後半、容器包装リサイクル法など循環型社会にむかっての具体的な動きがはじまった。リサイクル体制づくりからゴミ発生抑制にむかってふみこんだ活動をすすめることが必要とされるにいたった。 他方では、ダイオキシン汚染など有害化学物質による環境汚染対策強化も課題としてうかびあがた。
5. 原発問題に関わって 1990年8月、原子力発電問題全国シンポジウムが京都で開催された。京都消団連もこのシンポジウムの京都実行委員会に参加し、事務局団体になった。また、1990年9月5日には、関西消費者団体連絡懇談会の主催で、関西電力との間で「原発についての民間公聴会」が開催された。料金問題での交渉のなかでも原発問題はたびたび話題になってきたが、「民間公聴会」で原発について集中的に議論する機会として注目された。原発問題についての自主学習会「ピコキュリーの会」の活動もとりくまれた。 1990年9月から10月にかけてチェルノブイリ現地視察に代表を派遣し、その報告活動とあわせてチェルノブイリ援助を訴えた。 1991年2月9日、美浜原発でECCS(緊急炉心冷却装置)が作動する重大な事故が発生した。京都消団連では、これを機に、多くの市民団体とともに「京都原発情報ネットワーク」を結成し、原発の事故から府民の安全をまもる活動をすすめた。1991年12月になってから京都府と関西電力との間で「原発安全協定」が結ばれたが、これをうけて各自治体レベルでの事故発生時の体制づくりの必要性が強調された。 1995年12月、高速増殖炉もんじゅがひきおこした事故は、きわめて重大なものであった。京都消団連も、ただちに事故の全容確認、安全性が確認されないかぎり運転再開をしないよう要請した。 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料施設ジェーシーオー東海事業所で国内最大の事故が発生した。重症被爆者が出たことや、数多くの住民が「屋内退避」をもとめられるなど、重大なものであった。京都消団連は「原子力関連施設の安全対策の確立、原子力政策の見直しを要望する」見解を発表した。
6. 消費者不在の物価値上げに反対して 1990年の「湾岸戦争」にあたり、国際原油価格が急騰し、石油製品などの値上げが心配されるなかで、京都消団連は「物価監視本部」をつくり、価格監視活動を行うとともに、関係方面への要請活動をすすめた。 この時期を除き、物価は、全体的に円高差益還元、価格破壊などにより安定または低下基調で推移したが、私鉄運賃、電話、郵便、高速道路使用料、授業料、水道料金などの公共料金については値上げがあいついで問題になった。京都消団連は、これらの動きにたいして消費者不在の値上げに反対する立場から必要な情報公開をもとめ、消費者の意見反映につとめた。 70年代から続いてきた関西消費者団体連絡懇談会の活動も、電気、ガス、私鉄などの公共料金値上げにあたり「民間公聴会」を開催するなど、継続的にとりくまれた。また、LPガスの流通改善に関連しても、シンポジウムを開催した。 京都のタクシー運賃問題に関連しては「民間公聴会運営委員会」の活動がつづけられた。
7. PL法から情報公開法へ 欠陥商品による消費者被害に「泣き寝入り」しなくてもすむようにとの立場から、わが国においても製造物責任制度を実現しようとの運動が長年にわたりすすめられてきたが、1995年7月、製造物責任法(PL法)が制定・施行された。これは日本の消費者運動の貴重な成果といえるものである。 これをうけて企業でも、地方自治体でもPL対応が具体化されてきたが、消費者としての意識啓発も重要になった。 同時に、PL被害救済のためには、情報公開制度が不可欠だということも明確になり、PL法制定運動の成果をふまえ情報公開法制定運動が展開された。 1995年10月、全国の地方自治体で家電製品からの出火事故の事例について条例にもとづく情報開示請求がいっせいに行われたが、地方自治体レベルでの情報公開制度の充実・活用の重要性もあらためて強調された。 このようななかで、情報公開と参加こそが、消費者の権利の確立ということにとどまらず、公正な社会の実現ということからも重要だということが強調されるにいたった。 消費者契約トラブルがあいつぐなかで、PL法制定につづき、消費者契約法制定をめざす運動がすすめられた。 司法改革問題についても消費者の立場から関わることがもとめられた。
8. 阪神大震災の経験に学ぶ 1995年1月17日の阪神大震災は、一瞬のうちにあまりにも多くの被害を発生させた。他方では、災害につよいまちづくりの重要性やボランテイア活動の課題など多くの教訓をのこした。 阪神大震災以後も各地で重大な自然災害があいついでいる。 阪神大震災の経験と教訓に学び、足もとの自治体の防災体制を住民としてチェックし、必要な災害対策を具体化していくこと、災害時における住宅保障制度の確立、住民相互の日常的な協力体制づくりや、1人一人の消費者としての災害へのそなえ、などのとりくみをすすめていくことがますます重要になっている。
9. 国際化社会のなかで ボーダーレス時代といわれる。地球のどこかでおきたことが、すぐにわたしたちの暮しに影響を及ぼす時代である。さらに地球的規模での環境問題を解決しようとすれば、国際的な視野をもち、とりくみの幅をひろげなければならない。 京都消団連では、1987年のマドリッド大会につづき1991年の香港でのIOCU定期大会に代表派遣した。また、1994年8月、京都で国際消費者法セミナーが開催されたのにあたり、IOCU関係者との交流会を開催した。 また、「環境と開発に関する国連会議」を前後してのさまざまな国際シンポジウムや「アジア太平洋NGO環境会議」などの開催にも協力してきたが、これらのとりくみの中で、より日常的に、くらしの現場での国際交流をふかめることが重要だとされた。 2000年5月、ISO/COPOLCO総会が京都で開催された。消費者団体としても「地球市場における国際規格への消費者参加」の課題意識のもとに討議に加わった。 |